お米はどこの国から来たのか?。 ここで視聴してください – お米はどの国から来たのか?
イネは、中国南部の雲南(うんなん)~ラオス、タイ、ビルマ周辺に広がる山岳地帯で生まれたとされています。 そこから北の方に広がっていったのが、寒さにつよいジャポニカという種類(しゅるい)のイネです。 中国などの温帯での栽培(さいばい)にむくイネです。日本米の起源は、中国の福建米(ふっけんまい)であろうとされています。 日本米を肥料をやらずに放っておくと、やや長く色が赤くなります。 日本の原始米は、おそらく赤米だったと考えられます。 赤長米(つまり福建米)が日本で栽培された時期は、約3,000年ほど昔の縄文(じょうもん)時代でした。お米は稲(いね)の実から採(と)れた物。 最初に生まれた場所は、まだはっきりとは分からないんだけど、今から6000年前、インドのアッサム地方の人たちが、稲の栽培(さいばい)を始めたのが最初だと考えられている。 それが、西南アジア、西アジア、アフリカと広まって、中国に伝わったのが5000年程(ほど)前。
米作りの歴史も古く、世界で最初に稲が栽培されはじめたのは今から約7000年前、インドのアッサム地方や中国の雲南地方、という考え方が有力です。 その後、稲作が日本に伝わったのは縄文時代の後期、今から2400~2500年ほど前と言われています。 日本に稲作が伝わった道すじの考えかたは、主に3つ。
世界で一番お米を食べている国はどこですか?
世界で一番お米を食べているのはバングラデシュの人たちで、日本の3倍くらい食べています。
なぜ日本は米が主食になったのか?
日本で米が主食になった理由は、稲が日本の気候によく合い、たくさんとれたからです。 大昔に、東南アジアで生まれた稲は、人がタネを持って移動し、世界各地でたくさんの種類が増えていったのです。 東南アジアのほか、インド、中国に文明が栄えたのは、こうした多くの種類の稲が、多数の人間の食生活をささえてくれたからです。イネが、太陽の光を利用し、二酸化炭素と水から炭水化物を作ります。 作られたものは、モミにたまり、これがお米になります。 イネの場合、お米の中の、でんぷんをためる所が、とても小さな白い色のふくろなのです。 これがいくつもつみかさなっているので、お米全体としても白く見えるのです。
全世界には1000以上にも及ぶ種類のお米が存在します。 「形」「食味」などの特徴から分類すると「ジャポニカ米」「インディカ米」「ジャバニカ米」の3つに分けられます。
日本人はいつからお米を食べ始めたのか?
米は縄文時代後期から栽培されはじめ、弥生時代には一部の地域で主食としての地位を築き奈良 時代には常食とされるようになっていました。 そのことを示す木簡(木片に墨で書かれた荷札や役所間の請求書)が都跡から出土しています。 玄米をついて精白 し、白米と書き「しらげのよね」と呼びました。日本の生産量は、年間781万6,000トンで世界第10位。まとめ 日本お米ばなし vol. 2 食文化編「日本人はどのくらいお米を食べている?」 こたえ:現代人は1年間にお米を50.7kg(1日あたりお茶碗1.85杯)食べている。
米は縄文時代後期から栽培されはじめ、弥生時代には一部の地域で主食としての地位を築き奈良 時代には常食とされるようになっていました。
日本に稲作が伝わったのは縄文時代の終期です。 福岡市の板付遺跡(約2400年前)青森県田舎館遺跡(約2000年前)からは水田の跡が発見されています。
見た目… 表面に緑、黒、茶などの細かい粉が付着します。 お米を研いだあと、水が黒や茶色に濁る場合は細かいカビが発生しているかもしれません。 そのまま食べないようにしましょう。
米の色が悪いのはなぜですか?
黒くなっているお米は、一般的に「斑点米」と呼ばれるもので、俗に「ヤケ」とも言われます。 斑点米が入っていると品質に影響するのでは、と心配になるかもしれませんが、決して人体に害があるものではありません。 稲の生育中に虫や熱、その他の要因によって米粒の表面が被害を受け、その痕が黒く残ってしまったもののことです。
世界で一番お米を食べているのはバングラデシュの人たちで、日本の3倍くらい食べています。稲作の日本への伝来と伝播には、インド・アッサムや、中国・雲南の山岳地帯で始まった稲作が ・長江に沿って東へ進み、やがて朝鮮半島を経て西日本に上陸した。 ・長江下流から北九州の対馬を越えて直接海を渡ってきた。 ・台湾を経由し島伝いに来た。