大目付と目付の違いは何ですか?。 ここで視聴してください – 大目付の仕事は?

大目付と目付の違いは何ですか?
江戸幕府の職名。 大名および幕政全般を監察することを職務として,評定所の陪席,全国法令の布告などのほか,軍役を担当する。江戸幕府 えどばくふ の 役職 やくしょく の1つ。 老中 ろうじゅう のもとで大名のとりしまりにあたった。 大名目付 だいみょうめつけ ともいう。大名と旗本との境界線は、石高一万石以上が大名で、それ以下が旗本です。

大目付は、大名の監察にあたる役職で、町奉行や勘定奉行を勤めた旗本が任じられた。 目付の上に位置するが、実際の支配関係はなかった。 将軍の親衛隊である書院番か小姓組に配属される家柄の者。 1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。

目付は誰を監視していた?

目付【めつけ】 室町幕府以来の武家の職制の一つ。 もとは戦時の監察者の意味。 江戸幕府では若年寄の支配下で旗本・御家人を監察。

大目付の定員は何人ですか?

大目付(定員4、5名)は旗本の名誉職のひとつ。江戸幕府大目付の一覧

  • 井上政重 牧野成賢 加賀爪忠澄 織田泉之
  • 池田長恵 織田信節 石河政朝 川勝広運
  • 池田長溥 松平康英 永井尚志 井戸弘道
  • 中山直守 池田頼方 深谷盛房 秋山正重
  • 遠山景元 黒川盛泰 岡部長常 仙石久尚
  • 浅野氏祐 滝川具挙 稲生正武
  • 合原猪三郎 中根正盛 榊原忠之
  • 北条氏長 水野守信 松前嘉広


旺文社日本史事典 三訂版 「上知令」の解説

江戸・大坂周辺を天領とし,その地域内の私領をほかへ移そうとするもの。 天領を集結・統制し幕府権力の強化を意図したが,大名・旗本らの猛反対で中止,忠邦失脚の要因となる。

旗本は、今で言うと何ですか?

旗本・御家人とは、徳川氏直属の家臣団のことである。 それらを総称して直参(じきさん)ともいう。 また徳川氏が江戸幕府将軍であったことから、両者を合せた幕臣(ばくしん)という呼び方も一般に使用される。「老中」(ろうじゅう)は江戸幕府の政務を統括する最高職。 必要に応じて、老中の上に「大老」(たいろう)が置かれましたが、大老はあくまでも臨時職であり、常設の役職としては老中が最高の職位でした。幕臣の公私の行状を監視し、犯した罪を摘発するのは、目付(定員10名)の仕事。 目付は、配下の徒目付・小人目付(各50名前後)等とともに、幕府の監察体制を支えていました。

幕臣の監察にあたる役職を目付といい、大目付は大名の監察にあたる役職で、町奉行や勘定奉行を勤めた旗本が任じられた。 藩士の最高位。 現代でいえば、代表権をもつ藩政の責任者で、「重役」ともいわれる。

幕府の御家人は、諸藩の軽輩にあたる「家子・家僕・家士」の意で、旗本に対する下級武士の足軽である。 旗本は三河の徳川家以来の家臣で、家康が領土拡張支配した駿河、甲斐、信濃など諸国の武士団、大名家の分家、名門の子弟で構成されている。 また、武家以外にも儒者、医師、碁所、歌学方など技芸に秀でた者も召し抱えられた。

つまり、幕臣の最上級が「布衣以上」その下が「布衣」そして「お目見以上」までが旗本で、最下位の「お目見以下」が御家人である。 布衣以上には、五千石相当の御側衆・御留守居・大番頭や、四千石相当の御書院番頭・御小姓番頭や、三千石相当の大目付・町奉行・勘定奉行や、二千石相当の旗奉行・作事奉行・普請奉行などがいる。

官僚のトップの役職は何ですか?

省庁のトップは大臣です。 その次に副大臣、大臣政務官と続きます。 大臣は民間人でも任務可能ですが、ここまでの役職は国会議員で構成されています。 その下の事務次官からは国家公務員で構成され、試験で採用された公務員の最終役職とも言えます。

江戸時代の大名は、石高によって「国主」(国持大名)「準国主」「城主」「城主格」「無城」の5階級に分かれています。 このなかで、城を持つことができる「国主」(国持大名)「準国主」「城主」が「城主大名」です。江戸幕府では元和3 (1617) 年設置。 定員は 10名で旗本から選ばれ,若年寄の耳目として旗本,御家人を監察した。