老中と大老はどっちが偉い?。 ここで視聴してください – 老中と将軍はどちらが偉いですか?
江戸幕府の場合は、将軍に次ぐ最高の役職として 大老 が置かれました。 そして、補佐役というより 政治全般を統括する役職 として、 老中 が設けられました。大老に就く家柄 大老に就くことができる家柄は、「井伊」(いい)・「雅楽頭流酒井」(うたのかみりゅうさかい)・「土井」(どい)・「堀田」(ほった)の4家に限定。 ただし、雅楽頭流酒井家は、本家と分家のどちらも大老に就いており、事実上は5家と数えることもできます。老中・若年寄のもとにいた役職を把握しよう
今でも、監視する人を「お目付け役」と呼んだりしますね。 上に戻って、 勘定奉行 (かんじょうぶぎょう)は徴税や財政を司る役職です。 この勘定奉行の下には、徴税を行う 郡代 (ぐんだい)や 代官 (だいかん)という役職が置かれました。
ろう‐じゅう ラウヂュウ【老中】
この名は三代将軍家光の頃から用いられた。 譜代大名のうち一〇万石以下二万五〇〇〇石以上の城主である者から選任。 定員四ないし五人。 若年寄とともに御用部屋に詰め、月番制で事務を主宰した。
江戸幕府の階級は?
江戸時代の人々の身分は大きく4つに分けられ、 士・農・工・商 (し・のう・こう・しょう)と呼ばれます。 この4つの身分を四民(しみん)と言い、更にその下にえた、ひにんと呼ばれる階層の人々がいました。 「士」は武士のことで、人口全体の10%ほどを占めており、多くが都市部に住んでいました。
老中は誰が任命するのですか?
政治は将軍の任命した老中(ろうじゅう)が主に行ない、三奉行をはじめ多くの役職を置いて政治のしくみをつくりました。 大名は親藩(しんぱん)、譜代大名、外様大名に分かれ、外様大名は幕府の役職につくことはほとんどありませんでした。「大老・老中」の項に「大老は十万石以上の大名で、土井・酒井・堀田・井伊の四家より選任され、老中の上席として幕政の最高職に位置した」と記載あり。
老中(ろうじゅう)は、江戸幕府に常設された最高職。 2万5000石以上の譜代大名から任用され、複数名が月番制で政務を執ったが、筆頭者(老中首座)は事実上の執政として幕政を主導した。
老中はどんな役職ですか?
「老中」(ろうじゅう)は江戸幕府の政務を統括する最高職。 必要に応じて、老中の上に「大老」(たいろう)が置かれましたが、大老はあくまでも臨時職であり、常設の役職としては老中が最高の職位でした。例えば江戸幕府将軍の下で政務を司った重職である「老中」(ろうじゅう:江戸幕府で政務を行う最高職)や、老中を補佐して政治を司る「若年寄」(わかどしより)などは、多くの大名家で同じ職名が使われていたことが分かっています。老中は、主に朝廷や大名・寺社の統制、財政、大規模な普請(ふしん:建築工事)、外交など公儀面の職務を担当。 老中のなかでも、最も格上の「首座」(しゅざ)は、今日で言う首相に該当しました。
役 職 | 役 目 の 内 容 |
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大 老 (たいろう) | 幕府の最高役職、臨時(りんじ)の職、老中の上に位置し、幼い将軍にかわって政治を行った。江戸幕府(えどばくふ)の約250年間に大老になったのは10人だけであった。 |
「老中」(ろうじゅう)は江戸幕府の政務を統括する最高職。 必要に応じて、老中の上に「大老」(たいろう)が置かれましたが、大老はあくまでも臨時職であり、常設の役職としては老中が最高の職位でした。
百科事典マイペディア 「家老」の意味・わかりやすい解説
江戸時代には制度上の職名となる。 徳川家の家老は幕府の老中。 各大名も数人から十数人の家老を置き,領地在勤のを国家老,江戸藩邸在勤のを江戸家老と呼んだ。 一族・重臣から登用するのが普通。
大老は誰から選ばれるのですか?
特徴としては、酒井、土井、堀田の3家は老中を務めている者からの選任となるが、井伊家はそもそも老中には任命されない習わしなので、いきなり大老に抜擢される形となる。 なお、土井家は土井利勝、酒井家(雅楽頭流別家)は酒井忠勝、堀田家は堀田正俊だけが大老に登用された。
「老中」(ろうじゅう)は江戸幕府の政務を統括する最高職。 必要に応じて、老中の上に「大老」(たいろう)が置かれましたが、大老はあくまでも臨時職であり、常設の役職としては老中が最高の職位でした。「譜代大名」(ふだいだいみょう:関ヶ原の戦いの前に徳川家に仕えた大名)のなかより、老中は100,000石以上の城主から選任されたのに対し、若年寄は、城主ではない者達から選ばれました。